奄美固有の自然について

奄美群島は、琉球弧とも呼ばれる九州から台湾へと続く1000kmに及ぶ南西諸島の一部を形成しています。ユーラシアプレートとフィリピン海プレートの境界域にあって、沖縄トラフの形成・拡大と地殻変動による隆起・沈降、さらには新生代第四紀(約170万年前)以降の気候変動による海水面の変動や、サンゴ礁の発達による石灰岩の堆積などにより現在の姿になりました。この間、島々の間だけでなく大陸や日本本土との分離・結合が繰り返されたため、それぞれの島ごとに種類の異なった固有種や遺存種による多彩な動植物の分布を見ることができます。

奄美群島の島々は、山がちで起伏の大きい「高島」と平坦な「低島」に大別され、島毎に異なる自然環境や土地利用等の違いから、生物の多様性、文化の多様性となって顕れています。「高島」である奄美大島、徳之島は新生代古第三期より古い地層から構成され、主として粘板岩や砂岩で山地が多く、海岸線は複雑に入り組んでおり、河川は短く急峻です。「低島」に分類される喜界島、沖永良部島、与論島は新生代第四紀に形成された琉球石灰岩から成り、扁平で緩やかな段丘状の地形で、砂浜や鍾乳洞が発達しています。

奄美地域の森林は、世界でも限られた地域でしか見ることのできない亜熱帯性多雨林です。多くの亜熱帯地域は中緯度乾燥帯にあるため、奄美の湿潤な森林は世界的に希少な環境と言えるでしょう。温帯の樹種と熱帯の樹種が混在しており、スダジイ、オキナワウラジロガシなど、常緑のブナ科植物が林冠を占め、アマミノクロウサギやオットンガエルなどの絶滅危惧種のほか、遺存固有種をはじめとする様々な野生生物の楽園となっています。

奄美群島の海岸域には、約220種にも及ぶ造礁サンゴによって構成されるサンゴ礁が発達しており、魚類、貝類、甲殻類など多種多様な海洋生物の生態系が形成されています。また、ウミガメの産卵地やアジサシ類をはじめとする海鳥の集団繁殖地がみられるなど、広域移動性動物の重要な中継地・繁殖地ともなっています。

奄美固有の文化について

かつて奄美の人々は、海を隔てた大陸や列島本土、南洋との交易などを行い、琉球や薩摩の介入といった歴史の影響を受けながら、固有の伝統文化・芸能や、信仰、自然観などを生み出してきました。人々の暮らしは身近な自然と密接に関わっており、多くの場合、海で魚介類を採取し、川で物を洗い、タナガ(テナガエビ)などを捕り、山野で田畑を開墾し、森から薪や木材を調達するなど、集落を中心に周囲の海や山と一体となった暮しを営んできました。

土着的な信仰の面では、海の彼方には神々のいる理想郷があり、豊穣や災害をもたらすと信じられてきました。琉球王朝の支配が及ぶ時代には、神々を集落に迎え、送り出す祭事や農耕儀礼など年中行事を司るノロ制度が確立され、現在でも当時から続いていると考えられる行事や芸能が各地に伝えられています。

また、ノロによって迎えられる神々は山に降り立ち、尾根を伝って森を抜け集落に下りてくるとされていたため、森は神々の領域=畏れの対象と考えられてきました。そのため勝手に森深く入山することは強く戒められており、一定のルールやタブーが存在していました。自然の精霊ケンムンとの遭遇や災難を伝える寓話は奄美地域全体に数多く残されていることからも、周囲の自然を聖なる領域とする認識は、奄美の人々の自然観となって引き継がれ守られてきたのです。

奄美を代表する伝統工芸である「大島紬」は、世界で最も緻密な織物といわれていますが、その根底をなす「泥染め」や絣柄に顕れたモチーフなど、奄美固有の風土無くしては生まれ得なかったものです。また、芭蕉布、サトウキビ、島唄などの「奄美らしさ」を伝える風物も、400年以上遡る複雑で過酷な歴史に奔流されてきた跡がその内に刻まれています。